2011-02-28 「京都会館再整備」というしつらえられた土俵-「sayseiの京都日記」
京都会館再整備をめぐる、京都市会の本会議や各種委員会での議員さんの質問と市の担当部局答弁を読んでいて気付いたことは、質問に大きく分けて二つのタイプがある、ということです。
 一つは、そもそも再整備が必要なのか、必要だとしても、市の担当部局が打ち出しているような「世界的に著名なオペラの団体の巡回公演」ができるほどの100億円もかけた大掛かりな改修が本当に必要なのか、と市の再整備計画に根本的な疑義を呈するもの。
 今ひとつは、そのような前提はすっとばして、いきなり舞台の奥行きを十分とれとか、タッパを高くせよとか、楽屋の拡充が必要だとか、舞台袖を十分とらないと・・・といった、舞台機構・設備の具体的なありように踏み込んで注文をつけるタイプの質問。

 さらに松隈先生(京都市が委嘱した再整備検討委員会の委員であった方)も、「京都の文化芸術活動は草の根的な、下から湧き上がってくる動き」であったはずなのに、こんなふうに「最後のところで上からのハコモノの話に乗っていいのか。やっぱり違うだろう。」という疑問から、非常に説得力のある議論を展開しておられます。
 以下、あとの議論のために、松隈先生のご発言をユーストリームで聞いた限りで要約的に引用させてもらいます。
 
 (建築史家の立場から言えば)なぜいまの京都会館を使い倒してくれないのか。イベントが無いんだったら、それを先にやったらいい。施設はまだ十分使えるのだから、コンサートでも演劇でも、使いこなしてくれれば、そこからポテンシャルが見えてくる。そうすることで必要なハードウェアが見えてくればあらためて考えればいい。
 
 6年前の委員会でもそれを言ったのですが、(歌手の)ばんばひろふみさんから委員会でも、「300億円かけてオペラハウスを建てれば世界中から一流の音楽家が来てくれるんだ。あんなぼろいものを使ってちゃだめだ」と罵倒されたんですが、すべて一挙的なお金をかけて、なぜいまやらなければいけないのか。

 賑わいが大切なら中庭を使って色々な工夫をした活動をして賑わいが出るようにやってみればいい。〔引用者注:賑わいについて少し詳しい案も提起しておられるが省略]

 東京から来た人間からみると、京都と言う場所はとても貴重だと思う。それぞれの場所の、それぞれの時代の遺産を生かして町をつくってきた。

 京都芸術センターでも、もともと小学校という地域の遺産だったものを新しく発信の場所にしているから価値があるのであって、あれは新しい建物を建ててつくったものでないから価値があるのだと思う。

 ぼくの聞いている範囲では、大ホールは壊す、第二ホールの舞台も壊すと。建築の半分以上壊して100億超えるお金を投下して、そこまでしなければ芸術文化活動ができないんですか、と言いたい。

 京都の町の持つ世界に発信するポテンシャルはそこではなくて、今あるものを使って発信することを先にすることが大切だと思っている。お手元に配布した資料の表紙に「1928ビル」の3階のホールの写真を使っているが、あのように素敵な場所が京都には沢山ある。

 そういう場所で芸術活動をやっていく過程で、ようやく、どう地域資産を使って町をどう整えていくか、という話になるのではないか。つまり「できごと」が先になくてはならない。

 いま出てきているような落下傘で上から降りてきたような話に、みんな乗っていいのだろうか。

 4月から基本設計が始まる、9千万の基本設計予算をつけるということは、建物のスペックが全部決まっていないとできない。どこまで壊して何を作るか、決まっていないと設計はできない。このまま進むのだろうか。

 私は検討委員会の委員だったのに、6年前に検討委員会で提言したことが、その後どうなったのか、まったくフォローできない。日本経済新聞の12月24日の夕刊記事で、突然降ってわいたように出てくる直前に、「こうなります」と京都市の人が報告に来たが、どうしてそうなったのか、まったく不透明だ。

 そういう活動にみなさん、乗っかっていいのか?
 たしかに立派なホールができて、お金はまわるかもしれないが、それでいいんだろうか。

 京都は、色んな草の根の芸術活動の下地があって、みなさんのような活躍する人が出てきている。順序が違うのではないか。
 私も大学は京都大学で京都にいて思うことは、京都の持っているアイデンティティというのは、いろんな時代の、いろんな遺産を使って、多角的に活動が行われていることだと思う。
 京都に残せばいいのは、神社仏閣だけではない。近代遺産が沢山ある。そういう地域の遺産になっているものを大事に使いながら活動していくべきではないか。
 皆さんの言っていることが、こんな形で吸収されてしまっていいのか。

 一昨年の10月に東京文化会館で「都市の遺産としての文化施設」というシンポジウムと見学会をやった。建築、劇場関係の人などいろいろな人が集まって、カーネギーホールやパリのオペラ座など、いろんな劇場の持っている歴史性と、新しく対応していかなくてはならないジレンマのなかで、どういう知恵を出していくか、という議論をした。そこで話し合われたのは、(そうした劇場やホールがいまや)都市の文化遺産や地域の遺産になっているのではないか、ということだった。

 一例を挙げれば、1968年にできた長野県立文化会館では、著名な指揮者の、「オペラを」という一言で動き出したが、(市民や関係者が動いて)現状のホールを綺麗にしようと。リニューアルすることから始めようということになった。

 これはなかなか目に触れる機会がないのだが、去年の3月に再整備に関する報告書が出ている。ネットでみられる概要版はかなり端折っている。(いまお手元に回覧している資料は)京都会館がオペラを上演するにはどれくらい改造しなければならないか、シミュレーションしてつくった模型とパースが載っている。
 
 この模型は、2005年に私が学生たちと作ったのを、いま検討している大手の建築事務所に貸して、検討してくれと頼んだもの。どうせなら有効に使ってくれと。

 こういう形でボリューム模型が作られているのだが、はたしてこれほどのことをしなければならないのか。それは、あくまでも、ここでコンサートを開き、いろんな歌手の催しなどを主催して興行している方々の意見を代表してこういう形で出てきているが、公共の施設を民間の商売を前提とするものへシフトしていっていいのか。

 実は同じような現象が20年くらい前にあって、神奈川県立音楽堂という、前川国男が京都会館の前に設計した音の良いことで有名なホールがある。これを壊して、県がオペラハウスを作りたいから壊そうという話が出て、いろんな建築界や音楽家から運動が起きて、結果的にはオペラハウスはあきらめて、改修して使おうということになった。

 そのときも「芸術発信するために現状ではダメだから半分壊して」という意見もあった。しかし、最終的に、稼働率が90%を超えていて、市民のレベルまで下りてきた草の根的な形で音楽活動をやっているから、このホールはいま生きているじゃないか、というのが、みんなが動いた理由だった。

 (京都会館についても)大改修して大きなお金を投下すればするほど、ますます市民から離れたものになっていく。むしろ、大きなコストをかけないとできない、大掛かりな公演しかできないようなものになってしまう。それはみなさんが望んでいるようなものにはならないんじゃないか。”

[松隈先生の発言の要約的引用は以上]


むろん「こんな大改修が必要か」という議論は、会館の具体的なありようにかかわってくるのですが、さしあたりそうではなくて、まずこういう「再整備」を進める、京都市の進め方に問題がある、という点をしっかり追究すべきだと思います。

 民主主義の根幹は主権者である市民の民意をどう生かすか、ということにあって、それは目に見える具体的なあらわれとしては手続き論に還元して考えることができます。つまり、まず市民の意見をきくこと。市民が判断するための情報、資料はきちんと市民に公開し、そのことをめぐる経緯、プロセスを透明にすること。それが大前提です。

 今回の京都市のやりかたは、これとまったく逆です。おそらく基礎的な調査自体を民間のコンサル(市会議事録によればUFJ総研)にやらせて、最初に「基本構想の素案の素案」的なものを作っているはずですが、私の知る限りそれは市民に公開されていません。

 また、今回プロポーザルコンペで「基本構想素案の策定」が日建設計(大阪)に委託されていますが、プロポーザルコンペはむしろ組織を選ぶもので、行政の担当部局と業者が協議しながら作っていくから、担当部局の意向でどうにでもなります。当然担当部局が原案的なものを持っているはずで、そうでなければプロポーザルコンペなどありえないわけですが、それも公開されていませんし、この3月末に結果が出てくるはずなのに、これまでに業者とどんなやりとりを交わしているかの情報公開もなく、まったく不透明なままです。

つまり、こういった市の秘密主義の独断専行に対して、案の中身がどうこうと注文をつける前に異議を申し立てなければ、市民の意見など今後どこにも入りようがないではありませんか。

 市の担当部局や幹部と、特定の業者だけがこそこそ市民に情報を隠して相談し、なにごとか案をかためて、その案にみあう財源をということで、これまた秘密裏に特定の一私企業の意向を打診して建設財源をおねだりする。

 市民に知らせるのはすべてが固まってから。委員さえも誰がどこでなぜそう決めたのかを知らされない。まして市民も市議会議員も、新聞記事で突如出てきた「結果」だけ見せられて仰天する。

 委員会も市民アンケートも、みなこの市と特定の業者たちがしつらえた土俵にのせて、エクスキューズに使うためでしかないのではありませんか?

 これは、京都会館の個々の建築的、設備的スペックをどうする、という中身の話ではありません。民主主義の根幹である民意に沿った行政をおこなうための手続きが完全に無視されている、ということでしょう。

■「京都会館再整備」というしつらえられた土俵-「sayseiの京都日記」

参考リンク
2011-02-23 「京都会館再整備に関する意見交換会」Ustream.tv
京都会館について-「sayseiの京都日記」
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by 2011-kyoto | 2011-02-28 00:00 | 2011/02
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