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2011-02-09 京都会館保存要望書(近畿支部)-「社団法人日本建築学会」
■110209: 京都会館保存要望書(近畿支部)-社団法人日本建築学会

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2011 年2月4日
京都市
市長門川大作殿
京都会館
管理者京都市音楽芸術文化振興財団御中
社団法人日本建築学会近畿支部
支部長森本政之
京都会館保存要望書
拝啓、時下ますますご清祥のこととお慶び申し上げます。




さて、今般、新聞等で京都会館の改修計画が進んでいるとうかがいました。わたくしども
日本建築学会近畿支部は2007 年に、当時の京都市長の枡本頼兼様、管理者の齋藤武夫様に
保存要望書を提出し、京都会館の文化的意義と歴史的価値についてあらためてご理解いた
だき、かけがえのない文化遺産が長く後世に継承されるよう格別のご配慮をお願いしたと
ころであります。
あらためて申し上げるまでもなく、京都会館は、1930 年代以降、制作と思想の両面にお
いて日本建築界のリーダー的存在であった前川國男の設計によって1960 年に完成した建
築で、戦後の日本建築を代表する作品と認められてまいりました。本会においても竣工時
に昭和35 年度日本建築学会賞(作品)を授与してその価値を評価しました。また建設業協会
賞、建築年鑑賞も受賞しています。今日においてもその評価に揺るぎはなく、2000 年には
本会近畿支部が「関西のモダニズム建築20 選」に選定し、2003 年にはDOCOMOMO(二
十世紀の近代建築に歴史的価値を認め、それに関わる建物や史料の保存の意義を訴えるこ
とを目的とした国際組織)日本支部により、日本のモダニズム建築を代表する100 の現存建
築の一つに選ばれております。その評価は、日本国内にとどまらず、近代性と伝統の融合
を感じさせる作品として世界的にも注目されています。
また京都会館が建つ岡崎地区は、東山を間近に控え、多くの名社名刹に囲まれて、京都
市内でも屈指の歴史的環境を形成しています。ここにあって京都会館は、流れるような水
平感と、建築の内部と外部の一体感を生み出す巧みな構成によって、岡崎地区の文化的景
観によく調和し、その特性を深めるものとして当地区に欠くことのできない存在となって
いると考えられます。
以上のことから、貴市(財団)におかれましては京都会館の文化的意義と歴史的価値につ
いてあらためてご理解いただき、かけがえのない文化遺産として長く後世に継承されるよ
う、格別のご配慮を賜りたくお願い申し上げる次第です。なお、本会はこの建物の保存に
関して、できうるかぎり協力させていただく所存であることを申し添えます。
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2011 年2月4日
社団法人日本建築学会近畿支部
近代建築部会主査橋寺知子
京都会館に関する見解
京都会館は、昭和32(1957)年に指名設計競技が行なわれ、同33 年12 月に着工し、同35
年4月に完成した。鉄筋コンクリート2階建てで建築面積は7,779 ㎡である。設計は前川
國男、施工は大成建設である。
竣工するや、昭和35 年度日本建築学会賞(作品)、建設業協会賞、建築年鑑賞などを受賞
し、近年においても、2000 年には日本建築学会近畿支部による「関西のモダニズム建築20
選」への選出、2003 年にはDOCOMOMO 日本支部による日本のモダニズム建築100 選へ
の選出を受けている。
その評価すべき点は大きく3点挙げられる。
(1)戦後モダニズム建築のなかでも屈指の名建築である
上でいうモダニズム建築とは、形態においては装飾を排除して、幾何学的な単純さを志
向し、建築観においては合理性・機能性を重視し、技術的には鉄筋コンクリート構造・鉄
骨構造の特徴を活かそうとするといった特徴を持つ建築の潮流である。モダニズム建築は、
「国際様式」と呼ばれたこともあることからもうかがえるように、地域性・歴史性を捨象
して抽象的な合理性の美を追究してきたが、1950 年代にいたって、素材感や有機的形態に
も目を向けるようになり、新たな展開を見る。一方、日本のモダニズム建築は1920 年代に
その萌芽が生まれ、30 年代には多くの優品を生むが、その独自性によって欧米からも注目
を集めるにいたるのは戦後になってからである。世界はそこに日本の伝統との繋がりを発
見し、ヨーロッパの祖述ではない独創性に驚いたのである。
京都会館は第1 ホール、第2 ホール、会議場の三つの機能をL形に配置し、囲まれた中
庭的な広場にピロティを経て進むという構成をとる。この平面は寝殿造りにもなぞらえら
れた。一方で、骨太な打ち放しコンクリートの柱・梁、大型タイルによって重厚さを演出
し、力強い秩序感を街並みに与えているが、この手法は「禅寺の持つ素朴ではあるが力強
い荘厳に似通う」と評価された(日本建築学会賞選評)。こうした造形によって、モダニズ
ム建築が「合理主義」のスローガンに災いされて表現として貧しいものになりがちであっ
た問題点を克服することに成功した。まさに日本的なモダニズム建築のありようを体現す
る建築であるといえる。
(2)前川國男の代表作である
建築家・前川國男は、二十世紀を代表する建築家であるル・コルビュジエに学び、1930
年代以降、日本における近代建築の確立のために、思想と実作の両面においてきわめて大
きな貢献をなしてきた。その業績の大きさは比肩するものがないといって過言ではない。
戦前期には、歴史主義が主流の日本建築界の中にあって競技設計で落選を繰り返すが、次
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第に理解者を増やして地歩を固める。主宰する設計事務所において、丹下健三、大高正人
をはじめとする多くのすぐれた後進を育てたことも特筆に値しよう。戦後は近代建築を真
に日本に定着させるためには遅れた工業力の克服が重要であることを訴えて、テクニカル
・アプローチという方法論を提唱し、形態だけの近代化を戒めた。1970 年代に入ると、タ
イルの素材感を生かした重厚な作風に変わり、埼玉県立美術館はじめ風土になじむ作品を
数多く生んでいる。
こうした前川國男の業績に対して、日本建築学会は作品賞を6度贈っている。これは最
多の受賞回数である。また建築学会賞の中に大賞の制度が設けられたとき、前川國男の「近
代建築の発展への貢献」をたたえて最初の受賞者に選んでいる。また、先述のDOCOMOMO
日本支部のモダニズム建築100 選には7作品が選ばれており、最も多い建築家となってい
る。
京都会館は、こうした前川國男の作品歴において、初期の戦闘的モダニズムから、地域
性や街並みとの関係を意識したデザインへ踏み出していく重要な里程標であると位置づけ
られる。
(3)京都の歴史的景観に貢献している
京都会館が建つ岡崎地区は明治28 年の第4回内国博覧会以後、京都の文化ゾーンとして
京都府立図書館、勧業館、京都市公会堂、市立美術館などが設けられてきた。岡崎地区は
東山にほど近く、あたりには平安神宮はもとより、南禅寺、金戒光明寺、知恩院などの名
刹が所在している。この地に建つ施設は、1930 年前後からその歴史的環境への配慮がなさ
れるようになってきた。京都会館の前身ともいえる京都市公会堂も和風意匠を採用してい
た。
ところが現代建築はこうした歴史的環境との調和という問題を必ずしも重要視してこな
かったし、設計者に選ばれた前川國男はむしろモダニズム建築の国際性を強調してきた建
築家であったことから、竣工にいたるまで危惧を抱いた向きもあった。しかし、前川は京
都会館において、軒に深い庇をめぐらし、壁面にはバルコニーを設けて、そこに特徴的な
手すりを配することで、流れるような水平方向の動きを生み出した。またバルコニーとピ
ロティを巧みに組み合わせて、建築の内部と外部のつながりを演出した。それらは日本建
築の低平な構成と建築の内外が一体化する空間性という二つの大きな特質と共鳴しあって
おり、岡崎地区の景観によく調和し、その特性を深めるものとなっている。日本建築学会
においても、作品賞を与えるにあたって「千有余年にわたる古都としての雰囲気が今なお
ゆたかに漂っている京都東山地区に近代建築を建設するという課題」の困難さを重視し、
京都会館がこの難問を克服し「世論もあまねく認める」ところとなったことを評価してい
る。
以上、京都会館の建築的・文化的価値がまことに高いものであることを申し上げる次第
である。

by 2011-kyoto | 2011-02-09 00:00 | 2011/02
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