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1965-12-01 京都会館:前川國男-「京都会館五年の歩み」
京都会館 前川國男
 京都会館が竣工して,もう5週年を迎えるという。私共にとって思い出の深い此の建築物が,その期待通り計画された通りの役目を京都の市民生活に対して果して来たかどうか,その設計の光栄をになった私共一番大きな関心事であることはいうまでもない事である。  

 時折り京都を訪れて此の建物のあたりを散歩して,正直のところその維持管理の行き届いている有様は私共にとって心暖まる思いである。予定した「つた」もどうやら順調に育って,疏水よりのたたずまいも一入落ちつきを加えて来た様に思われる。正面入口のピロチをくぐった中庭の感じは,一寸まだ不満足ではあるけれど,乙れも年と共に整備されてゆく事であろう。中庭正面の木立の扱い方もまだまだもの足りないけれど,やがて形のととのう時もさほど遠い事ではあるまい。此の建物をそれ程見事に管理しておられる当事者の方々の愛情と責任感とに私は何よりも深い信頼と敬意と感謝の念を捧げずにはおられない。ホントウに建築家冥利につきる話である。

 京都という伝統的な土地柄に,文化センターといった近代的な施設を,どんな形で建築すべきか。正直いってそんなにやさしい問題ではなかった。いうまでもなく京都は「今日」を生きなければならない,然し「今日」を生きるというのは一体どんな事なのだろうか。総じて人間が「生きる」というのはどういう事なのだろうか。京都は伝統の町という, 京都は美しい古都であるという。然しこの美しい古都も伝統の町も,かつて此の町を,かくも見事に作り上げ, かくも見事に生き抜いた京都の人達の「生けるしるしある」創造的な充実した生活をのぞいては,うつろな廃墟にすぎないだろう。近代化も必要である事は当然である, 然しそれがかつての京都をつくり上げた人達の充実した生命力のよろこびといったような貴重な伝統を傷つける様なものであってはならない。

 京都会館は近代建築技術をもって建設されねばならない,いかに設計したらこうした誤りを犯さずにすむかという点が,私達の最も大きな関心事であり同時に身に余る責任でもあった。しかも建築は何も建築家ひとりで出来る仕事ではない,大勢の協力者,施工者の協同作業である事は勿論であるが同時に施主側にその人を得るかどうかという大事な条件がある。永い間建築の設計という仕事にたづさわっててつくづく感じる事は, いい建築が完成される場合のめぐり合せという事であり,つねに何か運命的なものを感じる,あの時あの場合に,これこれの状況のもとで,これこれの人々の幸運の出合いがあったが為に建築が成功したという,そうした幸運なめぐり合せというたものを深く感じる次第である。

正直いって近代社会に不可欠な膨大な官庁組織複雑な行政機構といったものは, 凡そ建築芸術といった個性的な作業にはマイナスの要因として作用するのが普通である,こうした本質的に反個性的な組織が,本質的に個性的な仕事たとえば「建築」といった仕事に,原理的に反撥的な関係にある事は明らかである。にもかかわらずそうした仕事に成功したとしたならば,それはたまたま運命的に存在した組織の中の特定な個人達との尊い「出会い」であった筈である。此の会館の建設に当って,私達はそうした当事者の方々とのまことに幸福な「出会い」にめぐまれた。

 高山市長をはじめとする市の理事者あるいは議会の関係者の方々なかんづく小池氏をはじめ建設の直接の担当者の方々との幸福な「邂逅」がなかったならば,成功は覚束なかったという事を,今日なお思いを新たにする次第である。


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「京都会館五年の歩み」 - 京都会館五年の歩み刊行委員会 1965年12月刊














■京都会館:前川國男-「京都会館五年の歩み」
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by 2011-kyoto | 2011-11-02 00:00 | その他
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