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2006-04-01 前川國男の前衛性 鈴木博之-「建築家 前川國男の仕事」
建築家 前川國男の仕事
前川國男の前衛性を考えることは、日本の建築における前衛性そのものを問うことになる。

 建築家としての、言い換えるならば建築造形面での前川の前衛性はどのように捉えられるべきであろうか。それを戦後の前川の軌跡のなかに探ってみよう。戦後の前川の姿勢をもっともよく示すものが「テクニカル・アプローチ」という言葉であろう。ここには工業化時代の技術基盤を建築の中に取り入れてゆく態度が鮮明に現れている。

 だが、造形の源泉を見てゆくなら、そこに彼が学んだル・コルビュジェのモチーフが現れるのは当然であるが、それ以外には予想以上にアルカイックなモチーフが現れることに気づく。(中略)ここには、彼が自らの造形を求めたときに何を拠り所にしたかが現れている。彼は西欧の近代建築の直写を抜け出て、自らの独創性を求めたとき、日本の伝統、そして西欧文化の埒外にあるアルカイックな建築に何物かを求めたのであろう。そこに彼の立脚点が窺われる。彼は根源的な建築をインスピレーション源として、自らの拠り所としたのではなかったのか。それは「根源的」という言葉の語源的意味において文字通りラディカルな態度であるが、逆に言えば彼は一挙に根源的でアルカイックな造形に自らを同化せざるを得なかったのである。ここに日本の建築の強さとともに脆弱さがある。

 このことを指摘したのは槙文彦(1928-)である。彼は日本には前衛はないという。なぜなら日本には前衛が敵とすべき確固たるアカデミズムの伝統がないからだ、と。これはまさしく前川が直面した状況ではなかったではないだろうか。

 前川自身、戦後日本において近代建築の語法を確立しようとするとき、対立すべき対象を措定することに困難を感じたのではないか。そこで彼は構造的・材料的な側面で近代を表現することに拠り所を見いだしてゆく。「ブリュッセル万国博覧会日本館」がそうした前川の意欲をもっともよく示す作品となるが、その造形も構造的には破綻を来している。本来は大胆な片持ち梁の構造であるはずのものが、結局は先端に支えの支柱を持つことになっているからである。彼は安定した構造形式、耐久性のある外装による建築の追及へ向かう。そこにもまた彼の剛直な倫理観が見て取れるのである。


■前川國男の前衛性 鈴木博之-「建築家 前川國男の仕事」

建築家・前川國男の仕事

生誕100年前川國男建築展実行委員会 / 美術出版社


鈴木博之:1945年東京都生まれ.1968年東京大学建築学科卒業.同大学大学院博士課程を経て,1974年東京大学専任講師.1974-75年ロンドン大学コートゥールド美術史研究所留学.1978年東京大学助教授を経て,1990-2009年東京大学教授.2009年-青山学院大学教授.近年の単著に『都市のかなしみ、建築百年のかたち』,『場所にきく、世界の中の記憶』,『建築の遺伝子』.主な受賞にサントリー学芸賞,日本建築学会賞(論文).


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by 2011-kyoto | 2011-11-15 12:45 | 2006
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