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2006-04-01 風景のなかに「くつろぎ」とともに連結されてゆく空間-後期作品の意味するもの 富永譲
風景のなかに「くつろぎ」とともに連結されてゆく空間-後期作品の意味するもの 富永譲

 前川國男が生きうる「人間の場所」がむき出しになってきたのが、1965年以降の作品群である。「岡山美術館(現・林原美術館)」が竣工(1964年)した後の年を境にして、作風に変化が訪れる。その時点を回想して、座談のなかで次のように述べている。
「もともとぼくの建築っていうのは均等ラーメンとか、とにかく明快なのに惹かれるほうだったからね。それが、そうじゃなく、まあ、構造のために仕事しているんじゃねえっていう、そういう意識が強くなってきてね。…」1)

 晩年になって、前川は、自らの個人の居場所を建築のなかに強く求め始めた、僕にはそう思える。もちろん、それまでの作品のなかにも潜在していたが、前川國男という生の原型質的な空間が一挙に前面に出てきたのが後期の作品群である。そのたたずまいは静かで独自の人間的な味わいをもち、訪れると、いつも人々にゆとりを感じさせ、自分をとり戻す場が設定されている。時を経ても、その場所を歩いた感じの起伏は、身体がその快を運動感覚とともにおぼえている。穏やかであるが離れがたい気持ちになる。

 日本の近代建築で、そんな体が記憶するような魅力を備えた建築は少ない。
居場所といい、そこでの生活や人の動きがしつらえられているという訳ではない、場は人間がおのずから発見するのであり、そのきっかけに満ちた場のあり方が求めつづけられたのだ。
それを前川國男の「建築的散策路」といい、「目標のない旅の空間」2)と以前述べたことがある。日本の近代という雑多な、効率本位の、それでいて窮屈な消費社会のなかを生きながら、自らの居場所を求め、生きるということの自由を人々によびかけ、建築をつうじて、その解放の感覚を提示し始めたのだと感じる。


1)前川國男、宮内嘉久『-建築家の信條』晶文社、1981年
2)富永譲「熊本県立美術館1977 壁をめぐる旅の空間--前川國男の『建築的散策路(プロムナード)』」『SD』1992年4月号

■風景のなかに「くつろぎ」とともに連結されてゆく空間-後期作品の意味するもの 富永譲-「建築家前川國男の仕事」

富永譲―建築家の住宅論

富永 譲 / 鹿島出版会



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by 2011-kyoto | 2011-12-17 00:00 | 2011/12
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