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2011-12-18 第2回シンポ「京都会館のより良き明日を考える」講演 富永讓
第1部 講演 富永讓

第2回緊急シンポジウム 「京都会館のより良き明日を考える」
2011年12月18日(日)13:30~17:00  京都会館 会議場
主催:京都会館を大切にする会/京都会館再整備をじっくり考える会

第1部 講演 富永讓
富永讓:1943年台北市生まれ.1967年東京大学建築学科卒業.1967-72年菊竹清訓建築設計事務所勤務,主な担当作品に京都信用金庫。1972年フォルム・システム研究所勤務.1973-79年東京大学建築学科助手.2002年-法政大学教授.主な設計作品に茨城県営長町アパート,ひらたタウンセンター,成増高等看護学校.主な受賞に日本建築学会賞(作品),JIA環境建築賞.


http://youtu.be/14g4Y32h8Jg
撮影/編集 榎田基明(まちづくりと交通研究室)


■第2回シンポ「京都会館のより良き明日を考える」講演 富永讓

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講演傍聴メモ(参考)-ぜひとも本講演をご覧いただくことをお勧めいたします)


〇自身が勤務する法制大学においても同様の問題が起こっている。
(参考URL) http://www.55-58saisei.sakura.ne.jp/

〇壊す側の理由:
性能的な理由(大教室をつくることができない)
打放しのコンクリートの建物は若い女性などに人気がないというアンケート結果
耐震性の問題(しかし311後も建物は健在) など

一方的な決定がなされた。建築学科教授も知らされず。
計画を止めるために、調査提案などをしたり、反対運動があり、現在は計画は一時凍結されている。

〇そのとき感じたこと
大学の歴史やスピリットをどのように考えているのか。
そういうものを伝えるのは建築をつくる場所の中にしか潜んでいないのに。

今では、何気ないように見える清貧の美学というかプロポーション、都市のたたずまい、清清しさ、
60年代日本近代都市のバックボーンになっている場所が次々に壊されていく。
経済優先の厳しい時代である。

近代建築というのは理念的であるが、それを日本の風土の中にいかにして定着させるのかを、
前川氏も含めてあの頃の建築家が試みている。
非常に明るい人間への信頼のビジョンがあり、今の建築からは成しえない、どうしても得られないものが残っていて、それはこの京都会館についても同様である。


〇丹下さんの建物に壊して手を加えようという人はあまりいないように思うが、
前川さんの建物は手を加えても「大丈夫」なようにみえるところがある。

しかし、「それは全く違う」ことを強調したい。
メッセージが控えめであると、なおさら、部分的な変更をすると、台無しにしてしまう。
作ったあとで、似て非なるものができてしまうことになる。

それは、建築家の思想、哲学が一貫して建物に流れているからである。

「もしも細部の真実に支えられなければ小説という大きな虚構はすなわち崩壊してしまうだろう(ゾラ)
建築は細部の真実に支えられたフィクションと考えられるのではないか。(前川國男)」


芸術とはすべてそうではないか。

建築とは写真に写るものとか、視覚的なものではなく、特に前川建築は、全体をインテグレードしているような風合いとか素材の手触りとかディテールの匂いだとか、微妙な感覚に訴えて全体の人間の生活に染みとおってくる何か、そういうものが重要な建物です。

日本の芸術にはそういうことがある。

同時期の、小津安二郎の映画
淡々としているけれども、何かを付け加えたり、取り去ったりすることができないような作品
「物足りなさのもの足りさ」


私の、父くらいの年代のある種の日本の美学だった。
その年代の人達がよきものとしていた空間を残すことは絶対に必要である。

だから「物足りた空間」にしてしまうことには絶対に反対したいと思います。


生活の場の定石をただただ繰り返している。ように見えながらも、
形よりもその場所を歩いたときの記憶、肌合い、足の裏とか、身体が覚えているような、
表現はおだやかだが、人間にとっては非常に強いものをもっている建築です。

近代建築が脳内を投影したものだとすれば、京都会館は、大地の起伏を伝えるような建築だと思う。

京都会館を考えずにこのあたりを思い浮かべることができないくらい重要な場所。
性能が問題になるのは仕方がないが、
第一ホールを壊すということは賛成できない
技術的に解決できることで今の状態を保ってもらいたい。


人間の忘れられない記憶の場所を共有してもっているというのは、もっとも大事な建築の役割である。

〇前川國男自邸の紹介

〇京都会館の紹介


前川が、日本的なものを取り込んだ最初の契機になる建物で非常に重要

東山を借景に水平的な作品-庇によって切り取られた東山の姿。
自らを主張するのではなくて、自らが全体の外側の空間のフレームになっている
建築そのものは物足りないけれども「物足りている」という日本の美学、日本の空間の認識が語られている。

主張してわかったわかったという建築が増えている中で、そういう建築が非常に減ってきている。

近代と伝統、西洋と日本、建築と都市、
苦労した自前の日本建築になっている

非常にオリジナルな精気に富んだ建物だと思っている。

〇林原美術館の紹介

〇埼玉県立博物館の紹介

〇熊本県立美術館の紹介

いずれも「建物の形」でどうこうしようとする建物ではない
(気がついたら地面ばかり写真に撮っていた)

いろんなところが手を加えられている建物もあるけれども、全体像に影響するような変更はどこもしていない。
京都会館にもぜひそのような年のとり方をしてもらいたい。

by 2011-kyoto | 2011-12-18 00:12 | 2011/12
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