2014-03-01 それでも我々は主張し続ける 新国立競技場案について:槇文彦-「JIA MAGAZIN vol301」
特別寄稿 それでも我々は主張し続ける 新国立競技場案について:槇文彦
 「新国立競技場案を神宮外苑の歴史的文脈の中で考える」が『JIA MAGAZINE』295(2013年8月)号に発表されてから5ヵ月半、2020年オリンピックの東京開催が決定されてからも5ヵ月が経過した。この間「新国立競技場案」をめぐり多くの論評、議論、報道がなされ、その波紋は国内だけでなく国際的な拡がりもみせている。
 まだ実現しない一建築プロジェクトがこれだけの社会的注目を浴び、活発な議論を巻き起こしたのは日本の建築の歴史の中でも稀有の出来事であった。それは何故なのだろうか。
 当然それが7年後のオリンピックの主要施設だからという答えだけではない。これまで私個人に対していただいた多くの書面から、最も印象に残った2つをまずこの文の冒頭に紹介しておきたい。一つは東京郊外のある自閉症、発達障害の子供達の施設の責任者からのものであった。そこに園児の描いた1枚の白黒の絵が同封されていた。彼が家並みが終わるところに立ち、眼前に広がる林と空だけの自然に向かって両手をあげている後姿であった(図1)。
 この責任者は冒頭の私のエッセイで紹介された巨大施設の写真を見て、それが我々が使う抽象的な景観という概念でなく、本来人間が持つ抑圧/解放という原初的な心理問題として捉えてみたいという。これは建築家の私にとっても景観の本質に対する重要な示唆であった。
 もう一つは未知の方からの突然のメールであった。その人は日本の著名な大学で経済史を教えていて、現在は大学からの長期休暇制度を利用して英国のケンブリッジ大学に研究滞在中であるという。彼の説明によれば、たまたま彼の従兄弟の一人に建築家がいて、その人がPDFファイルで私のエッセイを送ってくれたという。彼は一読後直ちに大学のトップを含め経済学部の同僚にその記事を送り返し、多くの人々から賛同の意思表示をもらい、特にその中の一人からは「今我々に何か出来ることはないか」という返事をもらったという。「今我々に何か出来ることはないか」という問いは、健全な市民社会形成への第一歩に繋がる声なのだ。何故私が冒頭のエッセイを書くに至ったか、その背後には「今我々に何か出来ることはないか」という同じ思いにも繋がっている。

■それでも我々は主張し続ける 新国立競技場案について:槇文彦-「JIA MAGAZIN vol301」


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by 2011-kyoto | 2014-03-01 00:00 | 2014/03
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