2011-09-10 京都会館と 建築家 前川國男の求めたもの 松隈洋--「ねっとわーく京都10月号」
京都会館と 建築家 前川國男の求めたもの 松隈洋--「ねっとわーく京都10月号」

コンペの時点で求められていたのは、2500人のコンサートホール、800人の小劇場、国際会議場だった。しかし、その後、国際会議場については、宝ヶ池に国立の施設(現在の国立京都国際会館)の計画が持ち上がったため、学術会議程度の仕様となり、コンサートホールについては、バレエや演劇などのできる多目的ホールへと計画が変更された。さらに、小劇場は採算性を考慮して、1300人収容の中劇場へ格上げされていく。こうして、当時の設計担当者が、これらの変更によって「庶民的な会堂」になったと記したように、より日常的で多様な使われ方をめざす市民のための公会堂、として建設されることになったのである。そのこともあったのだろう、建物の名称もシンプルな「京都会館」へと変更された。また、建物の竣工夜、前川も、強いリーダーシップでこの計画を実現した高山義三市長の、「この会館を京都市民のあるいは京都の青少年の、ひとつの「生活道場」として活用していく」との熱意に心打たれたと記している。その意味では、厳しい時代の中で、当初に設定された関係者と市民の思いが現在の京都会館の性格を決定づけたのだと思う。

「国際的視野をもった音楽堂、劇場、会議場を総合した一つの会館を建設することは風光の古都、京都にとって歴史の新しい一駒であるに違いない。
 (中略)
 われわれは会館の設計に当って最も意を用いたのは此の点であり、悠久な歴史の流れと、この流れの溶け込んだ東山一帯の風光に対して敬皮な態度でのぞみつつ、此の古都の新しい歩みに参画せんものと念願したのである」。

この文面からは、前川らが、京都の風光や伝統に高い敬意を払い、敬虔な態度で臨もうとしていたことが読み取れる。





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■京都会館と 建築家 前川國男の求めたもの 松隈洋--「ねっとわーく京都10月号」

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by 2011-kyoto | 2011-09-10 00:00 | 2011/09
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