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京都会館改築への疑問 松隈洋 京都工芸繊維大学教授 「近代建築の到達点」を葬るな 始まりは唐突だった。昨年暮れ、「京都に最大級のオペラ劇場」の記事が新聞に掲載された。100億円をかけ、京都の戦後復興のシンボルである「京都会館」(1960年開館) を国内最大級のオペラハウスに衣替えするという。なぜオペラなのか。今年に入り、その根拠が明らかにされた。京都市は、改築財源の一部として、京都会館の命名権を、契約期間50年、50億円で地元の大手半導体メーカーのロームに売却すると発表、その条件として世界的オペラを誘致できる舞台への機能拡充を求められたのだ。 この建物は、フランスの巨匠ル・コルピュジエに学び、戦前験後の建築界をけん引した前川國男が手がけた名作として知られる。完成時に日本建築学会賞などを受賞し、近年は日本を代表するモダニズム建築100選にも選ばれた。そのため、3月には、いち早く日本建築学会会長などから相継いで市長宛てに保存要望書が提出された。しかし、6月、京都市は、建物の過半を占める第1ホールを全て取り壊して建て直す基本計画を一方的に発表したのである。 このまま計画が進めば、過大な要求をそのまま形にした墓石のような巨大な舞台の壁が立ちはだかり、窮屈なロビーを持つ別の建物が古い部分に無粋に接続されて、琵琶湖疎水沿いの寝ち着いた外観や中庭まわりの伸びやかな空間は完全に失われてしまう。 前川は、ル・コルピュジエに学んだモダニズム建築を日本の気候風土に定着させる努力を生涯続けた建築家だった。京都会館の設計にあたっては、戦禍を免れ、木造文化が無傷で残る町並みと豊かな自然環境になじむ建築とは何か、と自問し、禅寺を範として黒い勾配屋根と水平の庇、門のような入り口と石畳、そして外壁に焼き物のタイルを用いることによって、時間に耐え、外部に開かれた、人々のよりどころとなる簡素なたたずまいをめざした。 古都・京都の魅力とは何だろう。それは、木造文化の遺構と共に、それぞれの時代の建物が大切に使われ、同じ時を重ねていることの中にあるのだと思う。その歴史のにモダニズム建築を加えることがなぜできないのか。 加藤周一は、東山を借景として取り込む開かれた中庭を内包し、蹴水沿いの景観になじむ水平線で統一された京都会館を、「戦後日本の近代建築におけるひとつの到達点である」と絶賛した。一方、日常的に接してきだ市民にとって、それは当たり前のようにそこにある旧友のような存在である。建築は誰のものなのだろう。降って湧いた計画によって京都はかけがえのない戦後の建築文化を失ってしまうのか、京都は何を守り育てるのか、京都会館は問いかけている。 松隈洋
始まりは唐突だった。昨年暮れ、「京都に最大級のオペラ劇場」の記事が新聞に掲載された。100億円をかけ、京都の戦後復興のシンボルである「京都会館」(1960年開館) を国内最大級のオペラハウスに衣替えするという。なぜオペラなのか。今年に入り、その根拠が明らかにされた。京都市は、改築財源の一部として、京都会館の命名権を、契約期間50年、50億円で地元の大手半導体メーカーのロームに売却すると発表、その条件として世界的オペラを誘致できる舞台への機能拡充を求められたのだ。 この建物は、フランスの巨匠ル・コルピュジエに学び、戦前験後の建築界をけん引した前川國男が手がけた名作として知られる。完成時に日本建築学会賞などを受賞し、近年は日本を代表するモダニズム建築100選にも選ばれた。そのため、3月には、いち早く日本建築学会会長などから相継いで市長宛てに保存要望書が提出された。しかし、6月、京都市は、建物の過半を占める第1ホールを全て取り壊して建て直す基本計画を一方的に発表したのである。 このまま計画が進めば、過大な要求をそのまま形にした墓石のような巨大な舞台の壁が立ちはだかり、窮屈なロビーを持つ別の建物が古い部分に無粋に接続されて、琵琶湖疎水沿いの寝ち着いた外観や中庭まわりの伸びやかな空間は完全に失われてしまう。 前川は、ル・コルピュジエに学んだモダニズム建築を日本の気候風土に定着させる努力を生涯続けた建築家だった。京都会館の設計にあたっては、戦禍を免れ、木造文化が無傷で残る町並みと豊かな自然環境になじむ建築とは何か、と自問し、禅寺を範として黒い勾配屋根と水平の庇、門のような入り口と石畳、そして外壁に焼き物のタイルを用いることによって、時間に耐え、外部に開かれた、人々のよりどころとなる簡素なたたずまいをめざした。 古都・京都の魅力とは何だろう。それは、木造文化の遺構と共に、それぞれの時代の建物が大切に使われ、同じ時を重ねていることの中にあるのだと思う。その歴史のにモダニズム建築を加えることがなぜできないのか。 加藤周一は、東山を借景として取り込む開かれた中庭を内包し、蹴水沿いの景観になじむ水平線で統一された京都会館を、「戦後日本の近代建築におけるひとつの到達点である」と絶賛した。一方、日常的に接してきだ市民にとって、それは当たり前のようにそこにある旧友のような存在である。建築は誰のものなのだろう。降って湧いた計画によって京都はかけがえのない戦後の建築文化を失ってしまうのか、京都は何を守り育てるのか、京都会館は問いかけている。 松隈洋
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