2012-04-30 ヨーロッパからの手紙 その3 「みなさんへ」
ヨーロッパからの手紙 その3-「みなさんへ」

Subject:みなさんへ
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XX XX 様

最終回の成り行きに興味を持っていたのですが、期待に反して委員会はあっけなく終わってしまいました。そして沈黙。
そういうすっきりしないところへ、日経アーキテクチュアの記事
ニュートラルな体裁を保ってはいますが、この記事には京都市と基本設計受託者に、追い風を与えるベクトルが含まれています。

建築が利害と思惑が絡みあう中で翻弄されるものであることは、洋の東西を問いません。たとえば近代建築史のなかに特別な位置を与えられたウィーンのロースハウス、建設にあたって色々と物議を醸しました。
では、今回の京都会館を巡る展開はどうでしょうか。同じように物議を醸していますが、文化というフィルターにかけてみると、ポジティブなものはほとんど残りません。

正否の問題ではありません。建築の捉え方とその評価の基準です。
たとえばロースハウスに反対した人たちは、建築が解っていなかったのでしょうか。また建築家ロースは、広場のアンサンブルに配慮しなかったのでしょうか。

学生時代を京都で過ごし、そのあと長年ヨーロッパに暮らす私には、いい意味における京都の自負心・独自性といったものの大切さを痛感します。でもそれはもう、今回の市当局の対応には窺えません。関西の経済的地盤沈下と共にもぬけの殻となってしまったのでしょうか。

日本の文化の二極構造が内実を伴って機能していた時代の京都。その土壌を尊重しながら設計された近代建築たる京都会館。
それは、ヨーロッパ的精神の洗礼を受けた日本人建築家が、戦災を免れた京都という土地に、一個の人間としてアウトプットとした「時代のイコン」とでもいうべき存在なのです。

建築というのは、うまく使えたり斬新であったりすることも必要でしょうが、ある時代に生きた人間としての建築家のアウトプットが、その仕事に込められているということ、これが建築が広く社会に受け入れられるための前提条件ではないでしょうか。それが人の心の琴線に触れて共感を呼び起こし、愛着が生まれて保存が望まれる所以だと思います。
つまり、建築にそのような非定量的な建物の価値が認知されないかぎり、日本中で危機に晒されている近代建築の保存は叶わないでしょう。取り壊しを数値で正当化することは容易いのですから。

これは文化の問題です。京都市は人の生活の一部となった建築の価値を認めようとしない。いわゆる知識人を多く擁する京都でさえこうなのですから、「問題建築」の建つ地方の自治体における困難さは、推して知るべしです。

だからこそ、多くの言説が飛び交った今回の京都会館を巡る顛末は、客観的に分析される必要があります。地域振興の参考書は本屋の棚にあふれているけれど、建築保存のそれは無に等しいのではないでしょうか。
専門的立場からの歴史的位置付けは大切ですが、それを語りなおして、当該自治体担当者の手引きとなるようすることが急務です。

京都会館改修に関与する、当事者たちの立場は明らかになりました。
残念ながらそれ自体は、市当局のシナリオに基づいて展開することになりそうですが、それとは別に、建築とその保存を巡る基本的議論は、始まったばかりなのです。


ブログ「I Love Kyoto Kaikan」から、考えるためのヒントを抜粋してみます。

まずは市当局の採った施策から。

1.市当局が京都会館改修の検討を始め、各界の有識者を集めて再整備委員会を設置

2.「京都会館再整備基本計画」で市当局は独自で大枠を決定し、「…今後、基本設計を進めてまいりたいと考えております。…」(建築学会宛京都市長返答

3.それを踏まえ市当局は基本設計のプロポーザルを公募、その審査に当たるのは当局者のみ。

4.なぜか必要が生じた再公募に対するエントリーは2者のみ。

5.業務受託者の選定その挨拶より:「京都会館という…すぐれた日本近代建築の保存再生の設計者に指名され…。委員の先生をはじめ多くの方のお力をいただきながら、ぜひこの大役を全力をつくしてやり遂げたいと思っております…」

6.市当局は「京都会館の建物価値継承に係る検討委員会」を設置、当局はそれを「… 外観デザイン等について検討を行っていただくもの…」と定義。

市当局と建築としての京都会館

1.から3.は日本における役所の標準的実務の流れなのでしょう。ただそこにには、建築に職能として携わる建築家が不在です。言い方を変えれば建築家、ひいてはその職能自体が不必要なものと看做されています。
事業主体である市当局が、自分の都合にあわせて計画要綱を作成し、基本設計の担当者を客観性排除の下に選出してプロジェクトを進めるのは、いわゆる「ゴリ押し」に他なりません。

それはもちろん、ある意味ではOKです。

しかしそれならそれで、民意とか知識人とかを持ち出してカモフラージュしてはいけません。「後付け」で設置した委員会に諮ったという事実のみをもって公共建築をのもつ文化的側面に配慮したという、そういう誤魔化しは許されません。

プロポーザルの再公募が必要となったこと、そして応じたのは二者に過ぎなかったこと、これも建築を文化として考える上で、重要なポイントです。

他の設計者たちは、基本設計業務受託者とは違って、この課題へ挑戦することに職能者として興味を示さなかったのでしょうか。あるいは、当プロジェクトを巡る論争に尻込みして、参加を遠慮したのでしょうか。

つぎに、委員会での議論から

一委員:「…ここでは建物価値継承ということを考える委員会ですので、…条件が違うところでつくられたホールの標準的な高さをここで実現しなくてはならないということにはならない。」

舞台廻り専門家:「今世間相場はやはり、30m必要なんであって、…残念ながら27しか抜けないんです、いかがでしょうかというような理論に行かない限りは、やれるものがなくなってしまうと。」

委員長:「…もとの中庭がなくなってしまったような気がしまして、やはりある程度外観は継承していただきたいという気がしています。」

基本設計業務受託者:「…触れないでそれをこうしたほうがいいと判断したわけで、…一遍やってみろとおっしゃいますが、一遍どころか何十回もやっていますよ。」

事務局担当員:「…今後の劣化を最小限にとどめるために内部化することにしました。…バルコニー部分の欄干を内部に取り込むことが最善の方法であると考えたのであります。」

委員会提言:「ホワイエ、ロビー空間を拡充しようとする際には、現建物の持つ全体の空間構成や外観意匠の価値を十分に尊重して行うべきである。」

事務局長:「…この提言について消化をしてですね、より生かしていけるようにしてまいりたいと思っております。」

建築に携わる者と建築としての京都会館

当件には、市当局の建築を学んだであろう職員、建築職能者、建築研究者、実践的教育者といった役職の諸氏が登場します。そして、独自の見識と位置付けに応じた役割を演じておられます。
そして京都会館を巡る議論は、残念ながら自由闊達な意見の交換とは程遠いものになってしまいました。

当然といえば当然。建物の外観を、機能の翻訳たる平面と分けて論ずること自体が不可能だからです。外観の議論は、必然的に平面・機能に飛び火します。
だからプラグマティックに市の要綱を受けいれ、それを出発点として請けた仕事をすすめる基本設計受託者が不快感を示すのも、不思議ではありません。
また、市当局のやり方に批判的な委員たちが、そういう受託者に再考を促そうとするのも、自然です。

こうして両者は京都市当局によって、不条理な対立的構造に縛られてしまったのでした。
でも、対立していて済むような話なのでしょうか。本館設計者のあとを継いだ事務所長の言葉には、一番の当事者でありながら「あるべき」発言をしなければならない職能者の葛藤が、如実にうかがわれます。

各人各様の立場と動機。個別に見るかぎり、そこにはそれなりの整合性が認められます。しかし全体として眺めた場合、問題が存在することは否めないでしょう。
どうしたらいいのか。建築に係わる者の職能を、価値観をも含めて照射し直すことが必要です。

キーワード「職能」

たとえば、建築家の職能が日本ではまだ一般に認識されるに至っていない、という言い方があります。
医者は弱い人が生存を続けるのに必要な職能で、弁護士は弱い人が社会を生き抜くのに必要な職能、これは洋の東西を問いません。でも建築は?
たとえば、JIAの方々がそのホームページで並べて語るのとは裏腹に、建築家の職能を日本の社会はそれほど必要としていません。大工さんがいるし、ゼネコンもいるし。
しかし建築家は、数量では収まらない側面をも司るのです。しかもその判断は役所や組織などの意向に影響されることがない、それが自由業たる所以です。そういった認識が定着していないところでは、建築の保存はテーマになり得ません。

長くなりました。
そういった一般論ではなく、最後に職能の理解と直接関連する事項に触れておきたいと思います。

思うが侭に振舞うかのような市当局。でも最終的には京都市民に懸かっているのです。まさか、京都の町衆がそのキャラクターを自ら放棄してしまった、なんてことはないですよね。
研究者の方々にはDOCOMOMOに止まらず、保存の所以をわかりやすく説き、文化としての側面に対する市民の意識を高めるように勤めていただきたい。
建築家の方々には、自己の実現のみを目指すのではなく、職能を全建築的に生きる人間として日々の設計業務に携わり、その存在理由を示していただきたい。

そして、建築としての課題に興味を持ちながらも、別の理由からプロポーザルに参加しなかった設計者の方々。
皆さんが参加しなかったその弊害が明らかとなりました。そういう状況に責任を感じること、そしてなんらかの声を上げること、これも広い意味での職能の一部です。ちょうどアドルフ・ロースが「虚空に吼えた」ように。


状況の好転を願いつつ、
2012年4月末日 ウィーンにて。
三谷 克人


■ヨーロッパからの手紙 その3 「みなさんへ」

2012-03-20 ヨーロッパからの手紙 その2-「第4回価値継承委員会会議傍聴メモについて」

2012-02-27 ヨーロッパからの手紙-「I love Kyoto-Kaikan」読みました

■京都会館の建物価値継承に係る検討委員会関連記事
日経アーキテクチュア 2012年4月25日号 内容紹介
2007-11-08 京都会館再整備検討委員会-「京都市情報館」
2011-06-24 「京都会館再整備基本計画」の策定について-「京都市情報館」
2011-07-22 京都会館の保存要望書(回答)-「京都市長 門川大作」
2011-06-27 「京都会館再整備工事設計業務委託...」のプロポーザル参加者募集について-「京都市情報館」
2011-08-05 「京都会館再整備工事設計業務委託...プロポーザル参加者募集について 【再公募】  
2011-09-12 京都会館基本設計業務受託者(香山壽夫建築研究所)技術提案書(閲覧用)-「京都市」
2011-09-13 門川市長記者会見(2011年9月13日)-「京都市情報館」
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by 2011-kyoto | 2012-05-09 12:11 | 2012/04
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