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1960-04-28 京都会館開館までの経緯-「京都会館五年の歩み」
開館までの経緯

 京都国際文化観光会館(京都会館の前祢)建設計画着手及び完成に至るまでの大体の経過を述べると,本市は昭和25年10月京都国際文化観光都市建設法の施行以来,永い歴史のなかで培われてきた数多くの貴重な文化財と優推な風俗,明美な風光に恵まれた京都市をして,より新しい時代に適合した国際的な文化の香り高い観光都市を建設するための幾多の施策の遂行に努力してきたところ,幸いにも近年世界情勢の好転とともに京都を訪れる観光客は年々増加し,戦前の観光事業最盛期の観光客を凌駕するという情勢を招いたのである。

 ところが一歩退いて我が京都市が観光施設及び文化施設の面においてこれらの情勢十分対応することができる受入体制をを整えているかというと,遺憾ながら未だ充実しがたい点が種々認められるのであるが,なかでも世界の人々を招き迎え大規模な会議や文化的行事などを開催しようと欲しても,乙れに適合する会場施設を持たないことである。将来京都市をして名実ともにそなわる国際文化観光都市たらしめるにはどうしてもそれにふさわしい会館を建設しなければならないと痛感するに至ったのが,その始りをなすものである。ところが昭和30年,たまたま同じような計画を実現するため本市内の各種団体並に学者芸能関係者などの代表者により市民会館建設促進懇話会が結成されたのであるが,この懇話会の構想は市民の文化活動のホールに併せ国際的な諸会合を可能ならしめる会館を建設することであって,その内容は5カ年計画で工費3億円, 3,000人を収容し得るものとして当時の新聞にたびたび報道され,さらに当会は結成後直ちに署名運動寄附金募集等を行ない,44,369名の署名を得るとともに寄附金271,488円を募金し,また30団体の支持を得て各派市会議員21名を紹介者として同年12月市会に市民会館建設に関する請願書を提出し,翌31年2月21日市会本会議において本件は満場一致を以て採択されたのである。 

 当時市はこれらの広範な市民の熱望iに答えるには,財政的に地方財政再建促進特別措置法の適用を受け再建団体に指定されている等,極めて困難な情勢にあったので昭和31年春この打開策として,高山市長が上京,大蔵大臣一万田尚主主氏を訪れ,観光税創設について話し合いを行ない,実施にあたっての研究に着手したのである。 

 一方,東京においては,河野一郎氏,京都出身の永田雅一大映社長などに観光税創設の促進について積極的な協力を得ることとなった。 

 観光税は国際文化観光会館建設の基本財源をなすもので, その創設についての経緯は同年5月高山市長が自治庁を訪れ,大体の了解を得たことから始り, 社寺側が5月19日京都古文化財保存協会を中心として本税反対運動を展開し一時世論を沸したが,世論の大勢は課税を支持する傾向が強く,また市会の強力なあっせんと社寺側の理解ある協力によって問題は遂次解決の兆をみるに至ったので6月11日市長は,市会総務委員会において,文化観光施設税の創設につき会館建設計画など詳細な説明を行なうとともに,その経過を報告したのである。ついで7月27日市条例の一部改正議案を市会へ提案し8月17日修正議決をみたので,即日自治庁長官に許可を申請したところ9月29日ついに文化観光施設税の創設は許可されたのである。 

 その後の文化観光施設税の収入状況は,当初の予想を上回り,極めて順調にその成果を上げ会館建設資金の有力な財源となりつつあり,また起債の問題については,すでに文化観光施設税許可申請の内容の一部として自治庁にその資金計画を示してきたので,自治庁事務当局と折衝の結果,有望な見透しをもつにいたり,永年にわたる会館建設費の一部として57,450円を予算計上して,昭和32年3月市会に提案,同月30日市会の議決を経たので,ここに本会館建設計画の着手を決定し4月1日会館建設本部の設置となったのである。

 会館建設本部を設けるとともに同日「京都国際文化観光会館建設審議会」が発足した。この審議会は,市会代表,学識経験者などによって構成され,敷地の候補にのぼっていた, 円山公園,岡崎公園,京都御所などの実地視察が行われた。また中野商工会議所会頭から建設資金の寄付金を募集するため「京都国際文化観光会館建設協賛会」結成の提唱があり,同じく4月に発足した。この会の募集成績は8,390万円(36年9月1日現在)に達した。
 32年6月には、
 (1)敷地は岡崎公園とする。
 (2) 会館の性格は市民集会をはじめ,国際的,国内的な行事,会議,文化的な集会が行なえるもの。
 など,会館建設の基本方針が建設審議会で決り市長に答申された。
 
この答申を具体化する設計案作成は指名競技設計が妥当と考えられ次の三氏に委嘱された。
尾崎久男(日建設計工務株式会社)
前川国男(前川国男建築設計事務所〉
村野藤吾(村野・森建築事務所)
競技設計の審査員は9名でそのうち5名は設計監理の学織経験豊かな在京建築家であった。

競技設計の期間は,昭和32年7月10日に依頼,途中2回の質疑応答を行ない10月15日に提出を受けた。

各審査員により3日間慎重に審査され全員一致で前川国男氏の作品を採用することに決まり,実施設計,工事監理ともに委託した。施工は大成建設株式会社に決まり昭和33年7月20日に着工, その後工事は順調に進行, 昭和35年4月約1年9ヶ月間にして完成した。

財源はつぎのように文化観光施設税を主とし,市民の方々からの寄付も多額にのぼっている。

起 債 5億5,000万円(文化観光施設税収によって償還する)
国庫補助金2,000万円
寄附金8,000万円
一般財源、1億5,800万円
計8億0,800万円

寄付金は444の個人や団体から寄せられ,このほか第一ホールの絞りどん帳, 第二ホールの第一,第二どん帳や,山葉フルコンサートピアノ,たて型ピアノ各一台などの物件寄附があった。昭和35年4月完成した会館は,名称を広く一般市民から募集し「京都会館」 と命名せられた。古都を背景として生まれたとの京都会館は,市民の文化センターであり,国際間の学芸,文化などの交流の場として, 輝かしい役割を十分に果すものと期待して, ことに市民待望の開館式を昭和35年4月29日に行なった。
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■京都会館開館までの経緯-「京都会館五年の歩み」

1960-04-29 京都会館開館式-「京都会館五年の歩み」
1965-12-01 京都会館:前川國男-「京都会館五年の歩み」
1965-12-01 京都会館「五年の歩み」発刊によせて:京都市長 高山義三-「京都会館五年の歩み」
by 2011-kyoto | 2013-01-05 15:41
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