2013-07-26 ヒロシマを標に 建築に込めた平和の願い 松隈洋-「中国新聞」 
ヒロシマを標に 上
建築に込めた平和の願い
丹下の歩み戦後日本の姿
建築史家・京都工芸繊維大教授松隈洋さん(55)

東日本大震災から3度目の夏を迎えた。68年の歩みを重ねてきたヒロシマの意味はどう変わり、その役割はどう受け止められているのか。「8・6」を標としながら、「3・11」以後の表現や研究を通じて復興の手だてを模索する人たちがいる。
彼らとともに歩いた。
(渡辺敬子)
 建築史家で京都工芸繊維大教授の松隈洋さん(55が、広島市中区の原爆資料館のピロティから原爆ドームを望む。手前には原爆慰霊碑。「彼には、ここからどんな未来の風景が見えていたのだろう」平和記念公園とそこに配した施設群は日本を代表する建築家丹下健三〈1913~2005年)の実質的デビュー作だ。
 ことし生誕100年の丹下。その足跡は、瀬戸内国際芸術祭のメーン企画として香川県立ミュージアム(高松市〉で開催中の回顧展でたどることができる。実行委員を務める松隈さんは「その後の活躍が大きすぎて見えなくなりがちだが、丹下の原点はヒロシマにある」と指摘する。
 「私たちは、丹下が広島の建築に込めた力を受け止めてきたのだろうか」。大震災と原発事故を経て、回顧展の準備で丹下の足跡と向き合いながら自聞を重ねてきた。
 松隈さんと双子の弟は中学生の時、赤血球が少ないと診断されたことがある。父親が長崎の被爆者であることは知っていたが、86歳となった父親に被爆体験を初めて聞いたのは3・11日の後だった。「影響の有無は分からないが、時限爆弾を抱えているようだ。福島に暮らす人々も今、見えない放射能と闘い、同じ思いをしている」と話す。
 原爆ドームの保存を市が決めたのは66年、ユネスコ世界遺産の登録は69年。丹下のまなざしは半世紀先を予見していた。「東日本大震災の被災地の現実を前に、丹下のような志を持ち、建築を構想できる人間がどれだいるだろうか」
 平和記念都市の建設に込めた丹下の思いは、時とともに薄れてはいないか。松隈さんは自戒を込める。「今こそ原点に戻り、戦後の歩みを見つめ直す時だ。平和をつくりだす工場の操業を停止してはいげないのだから」

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■ヒロシマを標に 建築に込めた平和の願い 松隈洋-「中国新聞」
瀬戸内国際芸術祭2013 丹下健三生誕100周年プロジェクト「丹下健三 伝統と創造 〜瀬戸内から世界へ〜」展.

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